どうも、うらです。
私はたま~にこの日のことを思い出すので、書き留めておこうと思います。
もうあの豪雨から3年が経とうとしてるって思うと時の流れが速すぎて、恐ろしいですね。。。
豪雨があったのは6月末だったので、次の日からは暑い日々の連続でした。
もちろん、私も次の日から変わらず会社に出勤していました。
ただ、会社の中は復旧作業に向かったりお客様のお家の状況確認したり慌ただしかったです。
※注文住宅に就職していたため
災害があった何日か後に、少し被害が大きかった場所のお客様から「水が流れない」と連絡が連絡がありました。
そのお客様は先輩社員が担当していたお客様だったのですが、
先輩社員が他の現場対応に行かなくてはいけなかったため急遽代理で伺いました。
ただ、現場に着いたときは衝撃的でした。
ちょっとした住宅地でしたが、辺りはみな真っ茶色。
床上浸水までしたと思われる家。
地域の人たちが皆、長靴をはきスコップを持ちずっと作業をしている。
そんな風景が広がっていました。7月に入りたてで猛暑です。
それでも皆、復興のためにずっと作業をされていました。
そんな中泥まみれにもなってない作業着で、お客様の家まで歩くのがしんどかったです。
「歩いていないで、手伝え」
そんな声が聞こえてくるような気がしました。
お客様の家に着いた時、お客様は玄関からではなく外から出てこられました。
「あ~~~ごめんごめん!」
泥まみれでスコップを片手に持たれていました。
おそらく土砂を取り除く作業に出られていたのだと思います。
「水は出るんだけど流れなくてどんどん水が溜まってきとるんじゃけど、どうしよう!」
焦ったように言ってこられました。
「すぐ、確認します」
そう言って、私は全ての桝をを開け確認しました。
よく見る、こんなやつです。↑
土砂が起こったのだから、排水管に泥が入り木や草で流れが悪くなり詰まってしまた喉ろうということは容易に想像がつきました。
案の定、泥が詰まっていました。
ただ、ここで問題なのはどこまで詰まっているかということ。
家の外からの配管状況は水道業者しか分からない。
しかし、水道業者は復興作業が優先でこちらにはこれない状況。
「家の中の水の状況も確認させてください。」
すると、あと数回流したら水があふれかえりそうなくらいにトイレ・洗面・キッチンの数位は上がっていました。
すぐに上司に報告しました。
「すぐ撤去できるような状況じゃない、泥が詰まってもう水が流せない状況です。」
上司も「それは水道業者しかどうすることもできない。」と言います。
策として浮かんだのは『工事用の仮設トイレを置かせてもらう』であったがタダで済むことではないのと、トイレしか解決されない。
お客様にも説明しましたが、
「毎日毎日、泥をスコップでどけてもう腰も砕けそうなんです。」
「床上まで浸水しなかったからまだ生活できるって思ってたのに、これからホテルか探して生活しないといけないなんてお金がない、どうしよう!!」
「なんか、なんか方法はありませんか」
と少し涙ぐんで私に訴えかけてきました。
私は色んな先輩に状況を話し解決策を相談しました。
けれど答えは全て「それはどうもできない」でした。
「水道業者の対応を待つしかないです。」
そう言って帰ろうとした時、お客様の目を見て思いました。
『帰れない』
それからお客様に「やれるだけやってみます」と言い、小さいスコップを借り桝の中に手をやりました。
土を取っては水圧のかかるジェットで詰まりを流しを何度も何度も続けました。
泥が詰まっていたのは「汚水桝」
生活汚水が流れる管です。言い方は悪いかもしれませんが臭いし、汚い。
それでも私は「何とかしてくれ」という助けの声にどうにかして答えたかった。
当時、私は入社して2年目のひよっこでした。
それでもそのお客様は私に「なんとなりませんか」「助けてください」と言ってくるのです。
「お願いします」と頭を下げてくるのです。
辛くてしんどいのはお客様なのに。新人だということも分かってたのに。
だから私は懸命に作業をしました。
顔を地につけ肩まで汚水桝につっこみ泥を取り出し、泥が顔に散ってこようが構わず作業しました。
その間ね、お客様はずっと私に日傘をさしてくれてたんです。
毎日毎日泥まみれで、作業をして疲れているのに、私に日傘をさしてくれていたんです。
ちょっと気をぬくと涙が出そうで、ずっと歯を喰いしばっていました。
『辛くしんどいのはお客様で、泣きたいのはお客様なのだから泣いてはダメだ。』
何度も何度もそう心に言い聞かせていました。
「うらさん、もういいよ、ありがとうね」
「いや、あと少し」
そう言いかけた時、ごごごぉという音がして、、勢いよく流れたんです。
「流れた、、流れました!!!」
喜び合う間もなく「家の中!家の中を確認してください!!」
お客様がバタバタと家の中に入ります。
「うらさん!!水無くなってます!!!」
『よかった!!』
心の底からそう思い、何年ぶりくらいにガッツポーズをしました。
その後、水が流れるかや基礎の下の状態などもチェックして帰ろうとした時
「うらさん、もらってって」と1万円を渡されました。
私は一瞬何のことか分からなくて静止してしまいましたが、
「いやいや!!受け取れません!そんなつもりでやったんじゃないので!!」
「いや、いいんよ。それだけ嬉しくって本当に感謝しとるけん。こんなんじゃたらんぐらい」
そういって手に渡された1万円札は、すごく重かった。
いままで手に取ったことがある1万円札じゃなかった。
あったかくて、色んな思いが込められてる気がしました。
上司を通してお金は返金しましたが
私はその時はじめて、『自分が懸命にやっていたことが誰かの喜びに繋がった』という喜びを知りました。
そして私が、「誰かのためにできることをしたい」「誰かの背中を押せるような人になりたい」と強く思うようになったのはこの頃からだと思います。
現場仲間や業者さんにこの話をすると『手でうんこ取った女』と茶化されますが、それもまあいい思い出。(笑)
確かにそこに女はいなかったでしょう。(笑)
私はこの時のことを思い出しては毎回ぎゅ―――っと胸を締め付けられます。
そして泣きそうになる。これ書きながらも泣きそうになってました。。。(笑)
“どんな思いで日傘をさしてたんだろう”
1万円をだしてきた気持ちを考えるとすごく胸がぎゅ――――となります。
そして多分、あの日もらった1万円札の重さを忘れることはありません。