どうも、うらです。
今日は何気ない日常会話って意外に大事なんじゃないかっていうお話をしようと思います。
私は過去に一度、一人でため込みすぎて心がポキッと折れてしまったことがあります。
その内容はまた今度詳しくお話ししようと思うのですが、自分一人で深く悩んでました。
『人に相談したら迷惑になるんじゃないか』
『こんなことに時間を割いてもらうのはもったいない』
そんな風に思い、なかなか自分の悩みや苦しい思いを周りに話せずにいました。
ましてやどちらかというと「うらっていっつも元気だよね」「悩み事とかなさそう」
と言われることが多く、自分自身もいつもはそんなに深く悩んだりすることがなかったです。
大人しいほうではなかったし、「しっかりしてるね」と言われ頼られることが何より嬉しかった。
そんな人でした。
その長所が邪魔をして
“いつも元気で頼れる子”
という理想像を崩してはダメだと思い込んでたのかもしれません。
私が自分一人ではどうすることもできなくなり、『もうだめだ』と思って
相談したときにはもう手遅れでした。
1週間もたたない間に、ガタガタっと崩れていって何か「プチン」と糸が切れた感覚でした。
もう無心で会社の携帯は会社の机に置き無断で休み、
自分の電話は電源を切り気が付けば電車に乗り揺られていました。
(いわゆる逃亡です。。。苦笑)
警察も呼ぶかというところまで周りは大騒ぎになっていましたが、
私は恩人に助けられ親元に帰りました。
帰ってから“何があってどうしたのか”親に話そうとした時に驚きました。
話せなかったんです。
話そうとすると涙が出てきて止まらない。
『きちんと自分のつらかったことを話して皆に迷惑をかけてしまったことを謝りたい。』
『早く解決して仕事に戻らないと、また色んな人に迷惑がかかってしまう』
そう思えば思うほど涙が出て、しゃべれない。
ついには何もしていない、ただ息をしてるだけなのに涙が勝手に出てくる
『あぁ、人は壊れたらこうなるんだ。もう普通じゃない。精神科にいこう』
そうまで思いました。
その時私の母は「もう何も考えなくていいから、ご飯を食べて寝て、またご飯を食べて寝ればいい」
そういってくれました。
その言葉はとってもあたたかくて、やっぱり母は偉大だなと思いました。
それから1週間、起きてご飯を食べ大好きなディズニーやジブリの映画を何も考えずにひたすら見て
ご飯を食べて寝る。また起きて、、、、をずっと繰り返しました。
不思議ですね、徐々に気分も楽になってきて会話もできてきました。
「もう話せる」そう確信し、親にあったことと自分の思いを話しました。
まさか自分がそういう風になると思っていなかったし、ほんとにしんどかったなと思います。
悩み事そのものが話せなくても、何気ないくだらない会話をしているだけでも心は軽くなります。
私はそう思います。
私の周りには鬱になってしまった、やなりかけた友人がいます。
その子たちは皆、頑張り屋さんで責任感の強い子が多かったです。
『周りに迷惑かけたくない』という思いが特に強かったように思えます。
『自分がしてあげれることはなかったのかな、どうしてあげれただろう』と何度も思い悔みます。
ただ、私が経験して思うに悩み事根本の話はできなくても
誰かと会話をすることで心はだいぶ軽くなると思います。
くだらない話をして笑うこと
悩んでいるときこそ日常の何気ない会話が逃げ道や心の安らぎになったりする気がします。
悩んでいたことを数秒でも忘れるような空間、そんな気がします。
だから私はまず笑顔で挨拶をし、ひとこと添えることにしています。
「今日は天気いいですね」とかそんな感じ。
私のまわりにいる人だけでも心がポキッと折れるようなことがないようにしたい。
少しでも周りの人が笑顔でいてくれるよう願っています。
そしてうらは人の笑顔が大好物であります。
何気ない日常会話を楽しみ大切にしてほしい、そんな話でした。
にこっ