生かされた命だということ「西日本豪雨の話」

その日はいつもより少し雨が強く降っていた。

「朝からよう降るね」

「今日コン打ち予定じゃったのにできんし~」
※コン打ち=生コンクリート打設のこと

そんな会話を監督仲間でしながらいつもの朝が始まった。

基礎のレベル検査や雨による現場の乱れがないかもチェックしに行かなくてはいけなかので、東広島の現場に後輩と向かった。

時間が経つにつれどんどん雨は強くなっていった。
現場で大工さんや業者さんと会話するのにも声を張らないと聞こえないくらいだった。

「ちょっと異様な降り方ですね」

「早いとこしまって帰るわ」

そんな会話をしていた。

現場での検査や伝達事項、道路に土が流れ出ていないかなどを確認済ませて
現場を後にした。

いつもの通り高速道路にのり帰ろうとしたら、通行止めになっていた。
大雨の影響だ。

雨がひどいとよく通行止めになるので、『通行止めになる前に』と早めに現場を出たつもりだったけど駄目だったみたい。

「え~、ちょっと時間かかるけど下道で帰ろうかぁ」

後輩と愚痴をこぼしながら帰っていた。

「ちょっと雨降りすぎでしょ~(笑)ワイパー壊れるよ(笑)」

そんな冗談を言えるのもちょっとの間だった。

いつもは穏やかでだだっ広い瀬野川の横を走った時
私たちは恐怖を感じた。

水の色は茶色く、怒ったように川は流れ、コップいっぱいに注いだ水のように川の水はもうすぐこぼれ出てきそうだった。

私たちはそのすぐ横を走っていた、帰る道がそこしかなかった。

「え、、、やばくない?こんな瀬野川始めて見た。。」

「もう氾濫しそうじゃないですか」

その頃から、私たちの携帯は休むことなく警報ブザーが鳴っていた。
最初はいつもの地震の警報ブザーと同じような感覚で聞き流していたけど、
内心少し焦っていたと思う。

後輩の子は熊野に住んでいる子だった。
熊野町…広島県安芸郡の町

熊野の方は土砂が起こったという情報も入ってきていたため、
一回会社に帰り熊野に帰っていては家に帰れないかもしれない。

そう判断し、上司に許可を得て帰社前に後輩を家に送って帰ることにした。

次第に、「通行止めになった」「土砂が起きた」と情報が次々と入りはじめ『早く後輩を家に送ってあげないと』の一心だった。

「先輩、会社に帰るので大丈夫ですよ」



と気を使ってくれていたが、私は言うことを聞かなかった。

雨は緩むことはなく、ワイパーなんてしてても意味ないくらいに強く降っていた。

矢野峠は土砂で崩れ、熊野へ行く道は熊野トンネルを抜けるしかなかった。


チラッと見えた矢野峠を見て血の気が引いた。


車が何台も土に埋まっている。

いつも見ていた道がそこにはなかった。


「えっ・・これ矢野峠?」

普段かかる時間の倍はかかっていたかもしれないが、後輩の家に着くことができた。

「先輩、大丈夫ですか」

「大丈夫。会社の車だし、家は会社の近くだからどっちみち帰らないと」
会社から自転車で5分くらいのところに住んでました

もう一度熊野トンネルを通って会社へ向かった。

しかし熊野トンネルの中で全く動かず先になかなか進めなかった。

先輩からは車の下から水が入ってきた写真が送られてきた。

「大丈夫ですか!?」

「やばいけど、山場通り越したから何とか帰れそう。うらは?」

「後輩も無事送れたので、トンネルさえ抜けれれば帰れます。」

上司や家族と連絡取り合ったりで、自分の携帯も会社の携帯も充電が残りわずかだった。

必要最低限の連絡しか返せなかった。

それでも全く車は進まない。
横を流れる水の量は次第にどんどん増えてきて、

『道路の上にこんなに水があることあるの?』

と思うくらいだった。

何時間もかかって『トンネルを抜けれた!』と思った時
前の車たちがどんどんUターンしていく。

警察が窓を叩き、話しかけてくる

「この先は土砂崩れが起きる可能性が非常に高いです。
危険ですので、引き返したください。」

「でも私は宇品に帰りたいんです」

「宇品に帰る道はもうありません!引き返して安全なところに避難してください。」


私は何が何だか分からなくなってきたけど、『家に帰るんだ』と反対方向に急いだ。

『遠回りになるけど、土砂の情報はまだない。家に帰れる道はそこしかない。』

車を無我夢中で走らせた。
コンビニや道路脇には行く手を阻まれた車がたくさん停まっている。

その時、私の大好きな上司からメッセージが届いた。

『大丈夫ですか。不安だろうけど最後まで頑張って。』

すごく暖かいメッセージで励まされた。

後からその上司は、会社で私の帰りをずっと待っていてくれたらしい。
会社から家まで遠いところに住んでいるのに、「心配だから」とギリギリまで待ってくれていた。

車を一生懸命走らせた。
片道に土砂が流れている道も通った。

でもその先に男の人が立っていた。

「この先はもう、陥没して道がありません。そこは、自動車教習所です。
駐車場も広い、トイレもあるのでよかったら使ってください。休憩してください。」


教習所の人がこれより先に車が進まぬように雨の中立って、誘導していた。

私はとりあえず、その駐車場に車を停めた。

残り少ない充電で、現状報告を会社と実家、友人にした。

ガソリンも残りが限られている。無駄な動きができない。
『よく考えるんだ。』

そう考えたいる時、熊野に実家がある同期から


「そこの教習所は周りに山が多いから、中心部に移動できるなら移動したほうがいいかもしれない。」

そう連絡がきた。

私は直感的に、『移動しよう』と思った。

片道が土砂でつぶれてる道をもう一度通り、中心部に向かった。

雨の音なのか、地鳴りなのかわからないくらいひどい雨。

『どうしたらいい、なにか考えろ、考えろ』



頭の中で何回も自分に問い続けた。

21時も過ぎていたと思う。

「先輩、帰れていないと上司に聞きました。家に来てください。」


さっき家に送りどどけた後輩が連絡してきてくれた。

正直、全くその考えが浮かばなかった。帰るのに必死だったんだと思う。

「ありがとう。」

その夜は後輩の実家に泊めてもらった。

不安がたくさん頭の中をぐるぐるしながらその日を終えた。








翌日天気は晴れだった。
昨日の雨が嘘みたいだった。

道はまだ、ふさがれたままだった。

後輩のお母さんから、私が一回停まった教習所は孤立状態になっていると知らされた。

片道が土砂でつぶれていたところが、完全に土砂でつぶれ通行できなくなったらしい。
「そうか。。」の一言しか出てこなかった。

それでも朝から熊野にある先輩の現場の安全確認に向かった。
大きな荒れもなく安心した。

お昼になって町内放送がながれた。


『熊野トンネルがは通行可能になりました』

私は会社に連絡をして車を走らせた。

熊野トンネルを抜けた時、私は泣いた。

それは安堵感からくるものではなくて色んな感情に心が押しつぶされそうだった。

トンネルを抜けた景色は真っ茶色だった。
左右にはなぎ倒された木もあった。

下半身土まみれの人も歩いていた。

ちょっと前に私はここにいた。

少し前に私は孤立化した教習所にいた。



でも、今。
こうして茶色い道の上、車を走らせている。



泥に埋もれた車も見える。



ちょっとの差。ほんのちょっとの。

その日は休日だったけど、会社に帰った時には部長と課長がいた。



「うら!!お帰り!!よかった!!!怖かったな!」

その時始めて安堵感が体中に巡り、涙がこぼれた。



「疲れたな、しっかり休め」

すごい色んな感情が湧き出てきた。

買ったばかりの新車が屋根までつかって廃車になった友人もいた。

家に土砂が流れこんだ友人もいた。

帰れなくて現場に泊まった大工さん。。

それでも、どんな状況でも次の日がくる。

同じ広島でも西に住むお客様は「家が建てたくワクワクしている」という
東の方のお客様は「落ち着くまで現場は止めてもらって大丈夫」という。

家は断水状況になっているのに働きに出なくてはいけない上司。

複雑な心境。
少し戸惑ったけど、それでも皆、均等に次の日は来る

その時、私は思った。



『この命は生かされた命なんだな』と。



そしてその命、『一生懸命生きなければな』と。






重みが違う諭吉『西日本豪雨の話』

2021.02.06

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注文住宅現場監督→電気業界営業→収入源ないまま脱サラ/ガサツと言われることが多いかなりO寄りのA型/基本楽しいことしか興味ない/無駄に人生の山と谷が多い/笑顔が好物/誰かの背中を押せるような気まぐれブログ毎日更新中/ Your Smile is like SUNSHINE☼